血の通った赤
神田 T800 周一総合格闘家No. 30
神田 T800 周一総合格闘家No. 30
男が見ていたのは強さだけだった。強さに憧れ、強さを追い求め、強さに挫かれ、強さに彷徨う。総合格闘家・神田T800周一。格闘家が強さを求めるのは当たり前かもしれないが、この男はどこか違っていた。負けても強さを探している。肉体の領域からはみ出し、気付けば心を見つめている。強さとは何か? 強くなるとはどういうことか? どうすれば自分は強くなれるのか?……問いの行方はやがて本当の幸福を巡るアルティメットな哲学へ。死と生が絡み合う魂のマーシャルアーツへ。ただひとつ言えるのは、この思索する格闘家、強さを希求する執念は誰よりも強い。
やり投げから格闘技っていうと驚かれる方が多いんです。でも僕の中では一貫して“ワイルドで、強いもの”って価値観でつながってて。
僕は高校時代、陸上部でやり投げをはじめました。それは強さへの憧れから。当時のヒーローは室伏広治。生物学的に明らかに強く、クリーンで、アスリートとしての強さがわかりやすい。それが僕の強さの原点で、「投擲の強さ=力の強さ」だったんです。
その強さの中身がだんだん変わっていって。自分が強さに触れれば触れるほど「本物の強さって何だろう?」って考えるようになったんです。やり投げは瞬発力は抜群にあるけど、結局はバネの勝負で戦い方のバリエーションがない。大学もやり投げで進んだけど、そこが物足りなく感じるようになったんです。
それでハタチごろ、大学近くのジムに入って総合格闘技をはじめました。格闘技は子供の頃、K-1が流行ってて、ピーター・アーツとかよく観てたんです。ただ、そのとき格闘技をはじめたのはきっかけがあって。当時僕は大学2年で茨城に住んでたけど、2011年の東日本大震災で被災したんです。驚いたのは、あれだけの地震があって世の中の価値観が大きく揺らいだにもかかわらず、その後、同級生たちがみんなつまらない顔して普通に就活をはじめたこと。それを見て、僕は「おまえら正気か?」と思ったんです。あれだけの出来事があったのに、何事もなかったように生きていくことがどうしても理解できなくて。それで僕は「格闘技をしよう」と。これまでなんとなくやりたかったことを、ちゃんとやらなきゃダメだと思ったんです。
そこから勝ったり負けたりしながら、格闘技の世界にハマっていきました。強さを求めていく中で総合格闘技に行き着いたのは、なによりルールが少ないから。総合格闘技は限りなくノールールだから人間と人間の競争の度合いが高いし、さらに歴史が浅いから柔道などの武道系に比べて礼儀や技がはっきり定められているわけではない。総合格闘技って、純粋に強さだけが正解なんです。あと、何をしてもいいし、どういう練習をしてもいいという価値観もしっくりきました。あくまで自由の中での戦い。それが総合格闘技の面白いところだと思うんです。
大学卒業と同時にプロデビューしましたけど、格闘技の世界ってそれだけで食えてる人はほとんどいないんです。当時は若いうちにとことんやって、25歳くらいで引退しようと思ってました。卒業後は知り合いの会社で働きながら、夜に練習に励む日々。だけどこのままではダメだと思って、まず自分が目指してるものがどのくらいか知りたくて、当時アメリカで一番強かったジムに3ヶ月修行に行ったんです。
そこはチームメイトに世界一のベルトを巻いてる男がいるようなジムだったけど、「通用した」とは言えないまでも、「普通にやれた」「これくらいか」という感触はあって。ただ、僕はそのことよりアメリカではみんなが豊かに自分の人生を生きてることにカルチャーショックを受けたんです。格闘家じゃなくても、たとえばジムの関係者の家にホームステイさせてもらうと、お父さんが夕方に帰ってきて毎晩子供と遊びながらBBQをやってたりする。彼らは家族や自分の時間を大切にしてて、それは強さとはまた別の部分で羨ましいと思いましたね。
強さ……僕の追い求めてる強さって何なんでしょう? だって強さと言っても、ヘビー級には絶対敵わないわけです。絶対的な強さとは一致しない。それよりもっとベースの部分、自分の生命を見つめて豊かに生きるための知恵というか、フィジカルな部分ではなく幸福の意味……。
どうしてこういう考えに至ったのか……父が仏教に帰依していて、幼い頃から無常観や「人はいつか死ぬ」という話を聞かされてきた影響もあるんでしょう。僕にとって格闘技って、死生観を一番感じられる手段でもあるんです。手と手を合わせて南無阿弥陀仏を唱えるより、殴って殴られることで初めて命を感じられる。格闘技は命と命のやりとりで、練習ひとつとっても、首を絞めて殺される可能性に向き合うという意味で相手に自分の命を委ねるわけです。命を見つめる時間は豊かで、マインドフルネスでもあって。それは他に代えがたい行為だと思いますよ。
だって試合が決まると、試合がスパイスになって日々がクリアーになっていくんです。感謝に値するものになっていく。試合が終わると、また感謝を感じる。手を合わせるだけでそれが感じられればいいけど、僕は格闘技を挟まないとそれが感じられないんです。
ああ、そうだ、山登りとも一緒ですね。自分が山になって、相手も山。お互い山を高めていって、登れるかどうかが楽しいんです。「おまえこの山、登れるか? 俺、おまえ登るわ」って。だから高い山に登りたいし、強いヤツとやりたいんです。
25歳で連勝が止まったとき、自分が格闘家として世界に行けないことがわかって最初の夢が断たれました。それでも練習は楽しいし、自分ができるところまで頑張ろうと格闘技は続けています。もうひとつ、僕には30歳までに子供がほしいという夢があったので、その後、結婚して広島に帰ってきました。いま住んでるのは生まれ育った安芸区畑賀という山の中です。
今は格闘家として活動しながら、昼間は働き、YouTubeで「神田体育チャンネル」を配信しています。そこでは僕が「真の強さを手に入れるまでの記録」として、近所の山でイノシシを獲ったり、自宅の古民家をDIYでジムに改装してるところを撮影しています。広島はほどよく田舎で、里山があっていいですよ。
今後は家にジムを作って、近所の子供たちを指導するのはどうかなぁと考えてます。僕自身、昔から強さに憧れて、でも強さが何だかわからなくて、格闘技に出会うまで生きづらい想いをしてきたんです。まあ、そういう子はあまりいないでしょうけど、それでも人と取っ組み合って、強さと弱さがわかる世界にいた方が生きやすいという子供もこの街にはいると思うんです。
自分の色は決まってます。“血の通った赤”。怖いようで温かみのある、したたる赤。人間のリアル。
いま僕は30歳ですけど、今も強くなってると思います。細かい技術とか技の押さえ方とか伸びてる手応えがあるんです。これまでなんとなくやっていたことにロジックができてきたというか。だからいま25歳の自分と戦ったら勝てますよ! ただ、僕は選手として落ちていくところも見ないといけないと思うんです。「俺、落ちてきてるな……でも、ここをこうやればまだなんとかなるな」って。落ちていくところからも学べるものは多いはず。なので35歳までは格闘技を続けるつもりです。
今の僕にとって強さとは自立とセットです。思想も強さだし、もう全部。強さを求めることは弱さを探す旅でもあって、強さを追いかけながら最終的には弱さを認めて、それを繰り返しながら豊かに生きられればいいなって思います。
一見、岡崎体育と間違えそうな「神田体育チャンネル」には奇妙な動画が結構ある。「マムシを唐揚げにして食う!」「獲ってもらったど~、タコを捌いてみた」。本文中にあるように“強さ=自立=自然界での自給自足”といった解釈から取り組んでいるのだと思うが、こうなると明らかに迷走というか、もはや人生迷子といっていい状態だ。しかし神田T800周一はそこがいい。あくまで自分の頭で考え、自分の身体に刻み込む。傷つくのも間違えるのも自分自身。だから彼の言葉には説得力がある。文字通り血肉から生まれた真実がある。ちなみにリングネームのT800は映画『ターミネーター』に出てくるアンドロイドの型番から。神田がアメリカ修行から帰ってきた際、先輩が「アメリカかぶれして帰って来て……おまえは周一シュワルツネッガーだ!」というところから「それだけは勘弁してください」ということで、ここに落ち着いたらしい。T800ってアンドロイドだから血肉もなければ“血の通った赤”もないじゃん……というオチもまた神田ファイティングスタイル!