私の好きな蒼
ラフォルジュロン デコラシオン岡本 祐季鍛冶屋No. 29
ラフォルジュロン デコラシオン岡本 祐季鍛冶屋No. 29
大化の改新前後から産業と文明を支えてきた鍛冶屋という職業は、今まで人々の生活を支えてきました。今では鉄作家さんとして活躍されている人も多く、生活必需品や建築に装飾性を持たせたり、オブジェのように用途は無いけど人の心を豊かにしてくれる。岡本さんは広島を拠点に広く活躍されている鍛冶屋さん。彼女が鉄で表現したいのは「女性的なしなやかさや、自然のモチーフそのもの」ではなく、「鉄に透明感をもたせたい」と語ってくれました。彼女が見てきた原風景やその色、出会ってきた人は彼女の作品とどういう関わりを持っているのか。そんな話をお聞きしてきました。
私の生まれは島根県なんですが、小学校に上がる前に広島に越してきてからずっと広島で育ち、広島で活動しています。最初に印象的だったのは越してきたばかりの家から見える風景。自分の家の窓から周りを見渡すと一面の畑や田んぼが広がる野っ原で、木があって、季節によっては、菜の花、大根の花、キャベツの花が咲く。そんな景色を見て育ってきました。今はマンションが建っていて、その風景は残っていません。
私の原風景は広く抜けた空の青と自然の緑が多い、そんな景色なんです。私が扱う鉄にも、山間に見えるピンクのような青のような藍色のようなグラデーションがあって。色はそんな私の好きな青の色かなって思います。
今でも、気分転換にノートや紅茶とかコーヒーを持って、戸坂の土手沿いの太田川の上流を散歩したりボーッとしたり。子供の頃もみんなでよく太田川で遊んでいたし、私にとって川がある事って凄く重要なんです。自分がぼーっと出来て何も考えでないですむ空間、気持ちが良い処に身を置くって事を普段から大事にしています。
元々、証券会社で営業をしていたんですが、私が入社した頃はバブルが弾けた後だったのでとても大変だったんです。新入社員で入った時から訳も分からず、ずっと怒られてて。「なんで私怒られるんだろう?」って。そういう事でモヤモヤしつつも両親には「三年は勤めなさい」って言われていたので辞めなかったんです。今だったら自分の意思に従って「辞めます」って言えるんですが、当時はまだそこまでの人間性も確立されて無かったので、「じゃあ頑張ってみよう」と三年間勤める事にしたんです。
その間にやりたい事もどんどん出てきて、「やっぱり物を作りたいな」って思ったんです。元々、手先も器用で学生時代も色々と作っていたので、将来的に物を作る事を仕事にしたいと思って。何だったら食べていけるのかなって考えていたんです。
そんな時に22歳の頃から好きで通っていた「ルテス」というカフェがあって。そこのインテリアが凄く素敵で、鉄物のインテリアだったので珍しくて輸入品かなと思い、マスターに「ここのインテリア何処で買ったんですか?」って聞いてみたんです。そしたら「わしが作ったんじゃ、わしは鍛冶屋じゃ」って言われて。その時にすぐ「私に教えてください、弟子入りしたいです」って言葉が私の口をついて出たんですが、「女の子には無理じゃけ」って断られてしまいました。
でも凄く気に入って通っていたカフェだったし、他では見たことのないインテリアばかりで。作って見たいなって想いもあったのと、単純に見たことがない物って事は、それが作れれば買ってくれる人もいるかもなぁって思ったんです。それでやっぱり作りたいなって思い、すぐに会社も辞めました。
そのカフェには毎日通っていたんですが、毎日言うと嫌がられると思ったんで、3回に1回は「教えてください」って言い続けたんです(笑)。そうしたらマスターに此処にこういう物を作るから「絵を描いて来いや」っていう事が2回あって、1回は手伝わせてもらえたんです。コンクリートをはつったり、タイルを並べたり。その後に「秋に展示会するからアシスタントしてみるか?」って言っていただき、三ヶ月くらい手伝わせてもらって。それから「何かある時は声かけてください!」って言ったら、ちょこちょこ手伝いに入らせてくれるようになりました。
今だったらネットで検索すればどういう事をやっているのかを見てなんとなく分かると思うんですが、その当時は携帯がまだ出たばかりで情報も無く、鉄工所に入るのも初めてだったので、鉄でどういう事をするのか想像がつかなくて。最初に「デニムを履いて来い」って言われたんですけど、それが何でなのかって理由もわかんなくて。でも実際、何か作業する度に火花が飛ぶんです。普段の生活の中で自分に向かって火が飛んでくる事ってないじゃないですか(笑)。でもそこで怖いって言うと「女の子には無理じゃけ」って言われてしまうと思ったんで、「うん、やるしかない」と思いました。
最初に渡されたハンマーというのが何百グラムくらいの小さなハンマーなんですけど、「こうやってやるんじゃあ」って叩き方を教わって、叩かせてもらったんです。今ならこのハンマーを一日中降っても手が痛くなる事なんてないんですけど、その時は元々喘息も持っていて、運動もしていなかったので筋肉もなく、5、6回振っただけで腕が上がらなくなりました。
普通だったら根を上げていた環境だろうなって思うんですけど、うちの師匠が作るものが好きで「作ってみたい」というのが原動力になっていて。やらせてもらえなくなる方が嫌だったので、必死だったんです。「ちゃんと叩けるようになったの」って言われるまで3年かかりました。それまでは「叩けてるつもりだけど叩けてない」って言われていて。なんで叩けていないのか分からなかったんですが、今、友達がアトリエに遊びにきてくれた時に、「何か試しにやってみる?」って鉄を叩いて物を作ってもらう事があるんですが、動作としては叩けてるんだけど、鉄自体が打たれていないんです。「あっ、師匠が言っていたのはこれなんだなぁ」って今なら分かります。
私は独立するのが遅かったんです。自分のアトリエを持ったのも師匠が亡くなって2年経ってから。自分の作品作りも師匠が倒れるまで怖くてしようとしていませんでした。まだ30代だったし、アシスタントで物も作れて楽しくて。だからアシスタントでいる事に満足していたんだと思います。作りたいって気持ちは凄くあって、口では独立したいって言いながらも、アトリエを構える自信が持てなくて、中々その一歩が踏み出せなかったんです。
そんな時に、師匠が入院した事を聞いて、「私、師匠にどこまで作れるか何も見せてあげられてないな」って思ったんです。そこで「やっぱり、作らないと」って思い、2004年に友人と展示会をしたんです。師匠も見に来てくれて、「お前らしいのが出来たの、可愛いのが出来たの」って言ってもらえて。その作品はよく売れました。翌年の9月に師匠が亡くなったので、師匠に見せるんだって気持ちだけで半年で全部作ったので、「間に合ってよかった。見てもらえてよかった」って思います。見てもらえてなかったら鍛冶屋を諦めていたかもしれないなって思いますし、あの時作った物は今でも定番で作っているものが多いんです。
普段から自然のものをモチーフにすることが多いんですが、それその物をイメージしている訳ではないんです。鉄って冷たくて重くて、軽やかじゃ無いですよね? 私は「鉄に透明感を出したい」って思うんです。自然を意識することはあっても自然のモチーフそのものに意識を集中させている訳ではなく、自然の要素を抽出して鉄に加えたいんです。重いけど重さを感じないだけの浮遊感を持たせたり、細部に繊細さを出せば、軽やかに感じる。女性的な感じを出したいんじゃなくて鉄の柔らかさや質感や鉄にない華やかさや軽やかさを引き出したいんです。もっと鉄で自由な表現がしたいです。木が風で擦れる音や波の音が鉄から感じられるような物作りをしていきたいと思っています。
去年のコロナ禍の時期には、ゆきぱんという鉄のフライパンを沢山制作したんです。うちの師匠が自分のカフェで使うのにフライパンも作っていたんです。そのフライパンで焼いたソーセージが「ぶち美味い!」ってイメージがあったのですが、作家として活動していて実用的な日用品であるフライパンを一般の方に幅広く作る事には少しためらいがあったんです。しかしお披露目してみると思いがけない反響があって嬉しい言葉も沢山いただけて気持ちが穏やかになりました。コロナ禍も乗り切れたので嬉しい誤算でした。
これからも装飾性のあるものをずっと作っていきたいと思っています。しかし、世の中は建築もどんどんシンプルになっていき、装飾性のあるものも其処にかける予算も減ってきているんです。だから装飾性のあるものを作るなら海外かなって思っているんです。海外で仕事できたらいいなって今動いています。
2011年に色々メディアに出させていただく機会があり、忙しくなって一人でやることに悩んでいた時期があったんです。やりたい事が実現するまではいくんだけど、その先が難しくって。
だから今後は、自分一人でやらなきゃいけないって事や、色んな思い込みを外していきたいなって思うんです。やりたいって思った事に対して「どうやったらいいかわかんない」って理由で悩むより、「どうしたら出来るんだろう」って軽やかでいたいんです。悩むより、やるってマインドが大切。悩んでもうまくいかない事の方が多いですし、これからは出来ることを考えていこうかなって思います。
鉄作家さんと聞くと何処か無骨なイメージを感じてしまいますが、岡本さんからお話を聞いてみて、鉄のように堅い芯と女性らしいしなやかな表現を持った方だなと思いました。やりたいって意思とそこに向かって真っ直ぐ実現させる力の強さは鉄のようであり、けれどご自身が作られる鉄の作品には、鉄の持つイメージとは真逆の柔らかさやしなやかさや透明感を自然のモチーフから抽出して付与する事によって、自然の音や空気を感じさせたいという事を意識されていて。それが結果、女性的な印象も感じさせてくれます。証券会社での経験から師匠との出逢い、そして別れ。色んな経験をされる中で鍛えられ、「今は色んな思い込みを外して軽やかでいたい」そう仰ってる姿は、何処か「鉄に透明感を出したい」と創作されている想いとリンクしている様に思えました。彼女が見てきた原風景も自然そのもので、そんな原体験も彼女の作品に投影されていると思います。この記事を読まれた方にも作品とともに彼女が見てきた原風景や色を一緒に楽しんでいただけたらと思います。