廣島スタイロ

空鞘稲生神社内田 久紀禰宜No. 20

どこからともなく祭囃子が聞こえてくると、日本人の感覚を持つ人ならば、その音色や拍子の懐かしさに自然と心を踊らされるのではないでしょうか?広島を流れる六つの川の一つの本川のほとり、対岸にグリーンアリーナが伺える所に位置する空鞘稲生神社。様々な催し物やイベントを行い、町の賑わいを作り出している神社として注目を集めています。その神社に務められていながら、イベント事を神社に誘致されているのが、空鞘稲生神社の禰宜である、内田 久紀さん。「昔の日本に在った、町の中心が神社であって、賑わいの場が神社だった」。その頃の風景を取り戻したいという想いで、活動されています。その想いの原動力は意外にも繁華街にあったと言います。そんな少し型破りな神主さんの話を伺ってきました。(※取材時は2020年1月)

町の中心に神社があり、そして町の賑わいの場が神社だった

神社が実家なので珍しく思われますが、ここで生まれて育って、過ごしてきたことが、自分にとっての日常だったので特別意識したことはないんです。ただ子供の時は、お祭りや正月の度に沢山の人や友達が自分の実家(神社)に訪れるので、訳のわからない優越感はありました(笑)。

祭りの最中に何かを買って家で食べながら、窓を開けて祭りの様子を眺める。そんな風景だったりが想い出に残っています。お祭りの感覚というか、自分はずっとここに住んでいるので、望む、望まずに関わらず、祭りの度にその雰囲気を感じてきたんです。今の歳になっても神輿のお囃子を聞いたりすると、尋常じゃないくらいの懐かしさはあります。

それこそ今、自分が神社でイベントをしていたり、「町の賑わいの場が神社でありたい」と思うのも、自分の中にお祭りの感覚というものが色濃く残っているからかもしれません。

僕は、小さい頃からこの神社を継ぐんだという意識は特になかったんです。高校も家から近くて自分の学力でも行けるという理由で山陽高校を選んだり、大学進学の時も、神社の資格を取る大学が三重県の伊勢神宮の近くにあるんですけど、その大学の神道学科だったら神主の息子としてAO試験で入りやすいと聞き、二つ返事でその大学に進学したんです。

「神主になるんだな」って意識し始めたのは、大学四年生の時なんです。その時に、変な葛藤はありました。在学中に色んな神社に実習に行くのですが、とにかく厳しい世界で。フローリングに正座で二時間話を聞くことなど、精神的に滅入ってしまうようなレベルだったんです。その時に、神主という職業は絶対向いてないなと思ったくらいです(笑)。

自分は長男なんですが、高校も大学も親に文句を言われず、行かせてもらえて、父からも神社を継げと言われたことは一度もなかったんです。今まで本当に好きなようにやらせてもらって。だから、これで神社を継がないというのはどれだけ親不幸者なんだという想いはありました。葛藤はありつつも、「神社を継ぐ理由が親孝行でもいいだろう」って思ったんです。そして卒業後に神社を継ぐという話を父にしたんです。ただ、父が元気なうちは自分のやりたいこともしても良いか?という話はしました。

それは、「神主の世界しか知らない神主にはなりたくない」という想いがあったんです。神社というコミュニティの外に出て、色んな人と出会い、違う仕事を知り、コミュニティや見識を広げたい。そう思ったのがきっかけで、流川(繁華街)に出るようになりました。昼は神社で仕事があるので、仕事が終わった後の夜のプライベートの時間で知り合いのお店を手伝っていたんです。一時期、7店舗くらいお手伝いに入ってましたね (笑) 。

人と知り合い、会話することが楽しくて。人見知りだったのですが、自分が知らない世界を知ることは、ワクワクするし、楽しかったんです。お店でのお客さんとの会話の流れで、「昼の仕事は何してるの?」って聞かれた時に、「神社で働いています」って話をすると、神社の会話になるのですが、僕たちとの神社やお寺に対する認識のギャップに気付かされたんです。みんな意外と神社とお寺の違いを知らなかったり。「そもそも神社って正月や七五三、お宮参りくらいしか行くことないよね」って言われることが多数で。僕らは、月頭に一回来て、お参りしたり、通りがかりに神社があったから寄って、お参りしてみようって思ったり。気軽に入れる空間だと思っているのですが、多数の人たちは、そう思ってないんだなって感じたんです。

神社関係者以外の人との関わりを通して、神社は閉鎖的なイメージだと気付いたんです。神社への目線を変え、人々にとって神社・神道を幅広く伝える術を考える様になりました。神社の中にいては神社に来て欲しいというプレゼンをするのは難しいなって感じ、僕が神社の外に出て話をするのってそういう役割もあるんだって。神社の過ごし方や楽しみ方をお伝えすることも出来ますし、夜の街で飲食店のお手伝いする神主のいる神社は面白そうだから、行ってみようかって、神社へ行くきっかけをつくっていきたいと思いました。

神社に来て、何か目に見えた効果があるって訳ではないですが、僕が皆様に神社を訪れて欲しい理由としては、自分自身の心にゆとりを持って欲しいんです。仕事をしている時は、時間に追われて余裕がないじゃないですか。そんな生活の合間に、「静かなところで目を瞑って心を落ち着かせる瞬間ってあるのかな」って思ったんです。

神社に入り、境内を歩いて、お参りしてまた境内を歩いて出ていく。そうすると、神社に入る前と後って多分感覚が違うって勝手に思ってるんです。だから参拝を普段されてない人は、一回入ってみて欲しいですね。「五分で出来るこころのゆとりを感じ取って欲しい」。そういう想いがあるんです。だから、境内に入ると空気が違うなって思われるような空間を作っていくことが大切だと捉えています。

伊勢神宮や出雲大社に入った瞬間の空気感、その感覚を捉えられるのが日本人の五感だと思うので、そこを大切にしたい。だから、まずは神社に入る機会のない人が神社へ訪れるキッカケ作りで、想いを共有できる人と、神社でイベントをしています。今とか特にSNSの時代じゃないですか。何でもいいんです。若い子達が、その辺の石段に座ってベーグルを食べている風景でも良くて。そのイベントを楽しんでいる背景の絵が神社だったら、それはそれで懐かしい風景じゃないですか。そういう絵面って日本でしか作れないものだと思いますし、そういう場所に人が訪れ、懐かしい賑わいが生まれる空間を作らないといけないなって思うんです。

それこそ日本は元々、町の中心に神社があり、町名や道の名前が決められていたって背景があるんです。町の中心に神社があり、町の賑わいの場が神社だった。空鞘神社もそうありたいなって思うんです。そういう仕事のバイタリティの原点は流川ですよね。自分の仕事で言えば、神社とは完全に正反対の場所なんですけど。あそこに出てなかったらこういう想いには至ってなかったんだと思います。

神社の意義とか意味とか価値を少しずつ知ってもらい、身近に感じられるようにしていきたいんです。昔自分が感じた感覚を後世の子供に残していきたいんです。自分が空鞘神社で好きな景色は、いつも外に出て帰ってきた時にこの境内に入る前から見える神社越しの空ですね。「帰ってきたな」って感覚と共に、なんかこころの隙間がスッと空く感覚があるんです。空にはゆとりがある。ふと空を見上げる感覚で神社にも訪れて欲しいですし、この景色を沢山の方と共有して、現代の時計に追われる社会の心にゆとりを与えれるように、これからも頑張っていきたいと思います。

取材後記

自分も普段の生活の中でそんなに頻繁には神社に行くことはありません。けれど、一歩足を踏み入れると感じる、背筋がピンと張るような神社特有の静謐な空気や、心地よい緊張感が好きです。日本という国は、スクラップアンドビルドでその姿を絶えず変化させて来ました。そのせいか街中では子供の時に見ていた風景が今もそのまま残っているという事は余りないと思います。そんな中でも神社という場所は昔から変わらず同じ場所に存在し続け、街の風景の一部として歴史を育んできました。そんな時の体積が神社やそこにある木々にどこか優しい空気を纏わせてるのかもしれません。今、サウナに通って身体を整えるということが流行っていますが、ふとした時に神社を訪れて心を整えることも今の世に必要な事なのかもしれません。

Profile 内田 久紀 広島市中区生まれ。山陽高校卒業後、皇學館大学文学部神道学科に進学し、神主の資格を取得。平成19年、実家でもある空鞘稲生神社に権禰宜として奉職。同時に天満神社兼務禰宜に奉職。平成22年、明階を取得し、平成28年、空鞘稲生神社、禰宜に昇進し、今に至る。神社の閉鎖的なイメージを変えていくために、神社の社務はもちろん、町の活性化に携わる事の受け入れや、神社関係者以外の人との関わり(イベント等)を通して、神社の空気や神社の雰囲気を知ってもらい、日本の古き良き伝統や日本人の感性を後世に伝え、神社が人々にとって身近な存在だという事を何より知ってもらいたいと想い動いている。現代に合わせたSNSでの発信等も行っている。