命の水色
広島銭湯部池谷達也部長No. 23
広島銭湯部池谷達也部長No. 23
(ジョン・レノン「イマジン」に乗せて)♪想像してごらん、家に風呂がないことを。その気になれば簡単さ。ユニットバスなんてこの世になくて、空にはただ湯気抜きの窓があるだけ。想像してごらん、みんなが湯船に浸かって今日を生きていることを……広島市に現存する銭湯の数13。そんなレッドアラートな銭湯文化を守るべく立ち上がったのが「広島銭湯部」。活動は月1で銭湯に行き、その後ただの飲み会をするだけ。ゆるいっちゃゆるい。しかし平時でも湯上り状態をキープする“のぼせもん”感こそ銭湯人の証。♪君は僕を夢想家だと言うかもしれない、でもいつか君が仲間に加わってくれたら、広い湯舟がまたひとつこの街に遺るかもしれない。バス&ピース!
広島銭湯部は2016年2月にスタートしました。
はじまりは知り合いの先輩たちと銭湯に行ったことです。もともと僕は鹿児島の人間で仕事で広島に来たんですけど、家と会社の往復ばかりで全然友達ができなくて。それがたまたま先輩に誘ってもらって何人かで銭湯に行ったら、話が弾んで仲良くなれたんです。まさに裸の付き合いというか、そのとき銭湯って不思議なチカラがあるんだなと思って。それでその後の飲み会で「面白いから毎月銭湯に行こう!」と盛り上がってたら、先輩から「じゃあおまえ部長やれ」と言われてはじまった感じです(笑)。
でも銭湯ってホント、不思議なチカラがあるんです。あれは裸が大きいんですかね? 一緒にお風呂に入ることで“裸が前提”の関係になるし、役職や肩書はいったん脱衣箱に入れてその人自身と向き合える。銭湯は子供からお年寄りまで、不特定多数が平等に集まる場所なんです。
僕、祖父の家が鹿児島の指宿で、小さい頃から指宿に行くたびに必ず夕方に銭湯に通ってたんです。その日常でありながら特別な感じもすごく好きでした。
僕自身は今、週8で銭湯に通ってます。家にお風呂はあるけど一切使いません。週8っていうのは、仕事の途中の昼休憩に行くこともあるから。僕の働いてる設計事務所は広島市の中心部にあって、舟入や土橋の銭湯に自転車で行けるんです。休憩1時間で片道15分、30分ほど入浴して、コンビニのおにぎり食べながら濡れた髪でまた仕事してますよ(笑)。
特に仕事でムシャクシャしたときは行きますね。風呂に入るとリセットできるし。たとえばサウナに入ってるとき、会社であったイヤなことを考えてる人っていないと思うんです。サウナに入ればただ熱い、水風呂に入ればただ冷たい、純粋な生き物としての自分に戻れる……銭湯部のキャッチコピーが「大人の涙は風呂で流せ」っていうんですけど、つまりそういうことですよ。いや、こういう感じが好きなんです(笑)。
今、銭湯は減ってます。設備の老朽化と跡継ぎ問題があって。矢野にある「日の出湯」はもともと夫婦でやっておられたけど、今は80歳すぎたおばあちゃんが1人でやってて。そこは薪わかしの銭湯だから釜に薪をくべるのも重労働だけど、おばあちゃんは「私が倒れるまでやる」って言っておられて……だけどそれっておばあちゃんが倒れたら終わりってことじゃないですか。誰かが店を継いで世代交代をするということがなくて、限界集落みたいな“限界銭湯”がぽつぽつあるんです。
広島銭湯部が活動をはじめた2016年には市内に14軒あったけど、今年2月に舟入の「都湯」が閉店して13軒になりました。10年前は今の倍の30軒程度で、60年代は130軒あったらしいから今は1割という状態。特に都湯は、僕らが活動を開始して初めてなくなった銭湯だからショックで……これは本腰を入れて銭湯を遺す活動をしていかないとダメだと思わされました。
僕が銭湯の価値を改めて感じたのは、2018年の西日本豪雨のとき。いろんなところで断水が起きて、風呂に入ることができなくなった人が出て。そうした被災者やボランティアの方々に対し、銭湯が無料開放を行ったんです。そのとき銭湯にはコミュニケーションスペースの他に、防災上のインフラとしての価値もあると感じたんです。
あと、銭湯は建築的に見ても興味深いです。僕が好きなのは「湯気抜き」と呼ばれる天井の構造。ほら、銭湯の天井には湯気を外に出すための天窓があるじゃないですか。たまに夕方に銭湯に行くと、その湯気抜きから太陽の光が差し込んですごくきれいなんです。
銭湯絵も面白いけど、広島は東京みたいに富士山が描かれているところはありません。結構質素というか、装飾より実用を重んじる感じ。他にも広島ならではの特徴があって、広島の銭湯の湯舟は階段状になってるところが多いんです。僕らの間では「三段式浴槽」と呼んでるんですが、これは僕の仮説としては雁木から来てるんじゃないかと思ってて。広島は川は潮位の変化に対応するため船着き場を階段状にしていて、それは浴槽も同じで、階段状にすることで全身浸かりたい人も半身浴したい人も両方楽しめるし、さらに湯舟の水の量の節約にもなる――これは原爆からの復興など、大変な状況下で銭湯を営んできた先人たちの知恵が詰まってると思うんですけど、どうなんでしょうね?
最初は遊びではじめた銭湯部ですが、銭湯に通ううちに「銭湯のよさを伝えて後世に遺していかなければいけない!」という気持ちになり、真剣に活動するようになりました。銭湯を遺すためには、若い人を巻き込んで日常的に使ってもらわなければいけない。日常的に使われることで初めて継続が可能になるんです。それで2年半前にホームページとインスタグラムを開設して、銭湯の面白さを発信するようになりました。そこからは内輪以外の人も参加するようになって、徐々に広がりを見せてます。
銭湯部の基本的な活動は、部会という名の月1回の銭湯訪問、その後の飲み会です。銭湯の前で集合して、まず先に風呂。風呂の中で近況報告やよもやま話。その後、近くの渋い系の店でみんなで楽しく飲む……ただ、それだけです(笑)。
そう、女子部員について……最初、銭湯部は「広島男子銭湯部」だったのですが、活動の幅を広げていく中で女子部員も参加するようになったんです。カルチャーに敏感な女性の存在はとても重要で、女子部員が銭湯の魅力を発信し、身近に共有することで新たな層にも興味を持っていただける。今後は女性が気軽に銭湯に行くきっかけになるように、女子風呂のアメニティを充実させたり、銭湯グッズを作っていきたいと思っているんです。部員みんなで盛り上げていければと思っています。
好きな色に関しては「命の水色」ってどうでしょう? そもそも水は命の源で、それを肌で共有できる銭湯文化はすごくいいと思うんです。あと、水は透き通って見えるけど、ときには夕焼けを映したり空の青を映したり周辺の環境と呼応してるじゃないですか。単色に見えるけど、いろんな色を秘めてる感じがするんです。
夢はいつか銭湯の設計をやることです。そして若い世代に銭湯の魅力を発信し続け、日本の誇りある銭湯文化を残していけたらと考えています。なんか話してたら風呂に入りたくなってきましたね。そろそろ仕事という「戦闘モードから銭湯モードへ」っていうか……いや、だからこういうの好きなんですよ(笑)。
取材終了後、私は即座に「入部させてください」と伝えた。それに応えて池谷さんは部員証がわりのイラストタオルを差し出した。めちゃくちゃ嬉しかった。早くこのタオルを使って私も銭湯体制に入りたい――しかし今、広島銭湯部は大きな危機を迎えている。昨今銭湯においても「大人数入浴禁止」「湯舟でのおしゃべり禁止」「サウナもキープディスタンス」という“新しい生活様式”が支配的になっている。アフターコロナ時代の銭湯スタイルはどうあるべきか? 障壁は高いが、きっと銭湯部なら乗り越えられるはず。イエス湯~キャン。湯~メイドリーム。君を待っているお湯があることをどうか忘れないでいて!