廣島スタイロ

フラッグを立てた
黄緑

フリーアナウンサー江本 一真しゃべり手No. 10

若くしてDAZN Jリーグ中継の実況を任されている江本一真さん。そして、しゃべり手として様々な媒体で活躍されている彼が、プロのサッカー選手になるという夢を追いかけて夢見たプロのピッチ。そのピッチに今、彼はサッカー実況という仕事で立っています。そんな彼が走って来た軌跡と、これから見据える先の未来についてお話を伺ってきました。

プレーする側から伝える側へ

僕にとって一番メモリアルな風景は、青春時代に汗を流したグラウンドも思い入れがあるんですが、やはり、エディオンスタジアムなんです。エディオンスタジアムは夢見た場所でもありますし、叶った場所でもあるので、特別な場所です。

僕は、5歳の頃から高校卒業まで、サッカー中心の生活を送っていたんですが、子供の頃は、ビッグアーチ(現エディオンスタジアム)の黄緑色に輝くピッチに立ってプレーすることを夢見ていたんです。しかし、高校生の頃、挫折を味わったんです。広島の強豪校である観音高校でサッカーをしていたんですが、周りに居た全国レベルの選手やプロになるような選手とのレベルの違いを肌で感じ、悔しいなという思いはあって、劣等感も感じていました。高校卒業後、将来自分はどうなりたいのかと常に考え、頭の中を整理するようにしていたんです。

そこで僕が新たに目指した道は、サッカーを続けてプロを目指すのではなく、メディアの業界に入って、伝える側にまわることだったんです。メディアの業界に入れば、一緒に汗水流したプロになった仲間たちと将来同じ目線で仕事が出来るのでは、と思ったんです。ずっとサッカーをしてきたので、その経験を生かして、サッカーの魅力を伝えたいと思い、しゃべり手になることを決意しました。

卒業後は、広島の大学に入学したのですが、大学生活は「時間が相当あるな」って思ったんです。そこで、実家が飲食店を経営していたり、叔父がBARをやっていたこともあり、大学に通いながら、自分でBARを始めたんです。大学生の時って、飲みに出ることも多いじゃないですか。自分のお店を開けば、知り合いも増えるし、自分も楽しめて、人生経験も出来る。アルバイトするよりも良いんじゃないかと思ったんです(笑)。今でもそこで出逢った人と飲みに行きますし、仕事に繋がったこともあったりして、BARでの経験は無駄ではなかったと思っているんです。ただ、根底には「しゃべり手になる」という目標があったので、お店は就職試験のタイミングで辞めました。将来に関するブレは一切なかったです。

しゃべり手の中にも色んな種類や選択肢があって、迷いながらも放送局のアナウンサーを志望し、愛媛の放送局に入社したんです。入社してからは、サッカーに携わる仕事がしたいという想いがあったので、理想と現実で葛藤することも多かったんです。将来のビジョンを正直に上司に伝えると、「もしかすると君のやりたいことは、ここでは難しいかもしれない」と言われたんです。一度きりの人生ですので、後悔のないように自分が納得するまで勝負したいと思い、退社することを決意しました。

放送局を退社して、地元広島に帰ってきたんですが、当然、「何で辞めたの」と、どこに行っても言われたんです。放送局は安定しているし、給料も良いのと。傷つくこともたくさん言われました。しかし、僕には目標があったので、何を言われようと、自分を信じて取り組んでいくことにしたんです。まず、広島の各局、イベント会社など、知り合いを訪ねました。そして可能な限り業界関係者を紹介してもらい、挨拶に行ったんです。3か月間くらいは、ほぼ毎日、人と会っていました。その中で、とあるテレビ番組のプロデューサーを叔父に紹介してもらい、お話させていただいたんです。この時に限ったことではないのですが、どの面談でも「うちの番組以外では何がやりたいの?」という質問には決まって「理想はサッカー関係の仕事がしたいです」と伝えるようにしていました。すると面談後、まさかの進展があったんです。

お会いしたプロデューサーが僕のプロフィールをその制作会社のサッカー担当プロデューサーに渡してくれたんです。サッカーの経歴に注目してくださり、たまたま僕の出演しているラジオ番組を聞いてくれてたみたいで。その日の夜に、サッカー担当プロデューサーから電話を頂き、「もし本気で実況をやりたいんだったら、一年間トレーニングして、実況デビューに向けて修行しよう」という連絡があったんです。色んな偶然が重なり、運が味方してくれました。そこからサンフレッチェの試合の日は、実際に放送席の隣で一人で実況をして、録音し、それをスタッフの方々に聞いていただき、修正する。繰り返し、トレーニングを一年間行ったんです。そして、24歳でサッカーの実況者としてデビューさせていただく事になったんです。

高校生の頃、描いた夢が叶ったんです。ずっと想って、目指していた景色がそこにあって。いつも見上げていた放送席ではなく、放送席から黄緑色に輝くピッチを見た時は震えましたね。あの日見たピッチの色は、これからの人生、ずっと残っていく色だと思います。ちなみに、DAZN Jリーグ実況者では、最年少記録だと思います(笑)。

とは言え、実況はやはり毎回緊張しますし、準備が一番重要なんです。一言のミスで取り返しのつかないことになったりしますし。常日頃、サッカーの試合を見て、選手の癖を調べたり、練習を見に行ったり、中継に向けて準備していきます。プロサッカー選手は90分に人生をかけています。その想いに対して失礼のないよう、喋らなければなりません。また中継は、制作に関わっている人が約100人もいて。スタッフさんたちが繋いだリレーのバトンを最後に受け取って、アンカーとして走るのが実況という仕事なんです。ですので、皆さんの想いも組めるしゃべり手にならないといけないと、責任感を感じています。

そして、僕は、サッカーをやって来たことが一番の強みだと思っています。実況において、多種多様、色んなタイプの解説者さんがいらっしゃる中で、解説を引き出すパスを出したり、戦術等にも気付けて、視聴者にわかりやすい実況が出来るようにと意識的に取り組んでいます。その結果、沢山の人にサッカーって、面白いなって興味を持ってもらえたら嬉しいですね。

Jリーグの実況をさせていただく中で、毎試合印象に残るのですが、中でも印象的だったのは、サンフレッチェ広島とV・ファーレン長崎、被爆地である広島、長崎のJクラブが顔を合わせた2018年8月のピースマッチなんです。広島で生まれ育った人間として中途半端な事は決して言えないと、緊張はありましたが、怖さはなかったんです。不思議な感覚でした。サンフレッチェとしても、初めてプロジェクトチームを立ち上げて、平和を世界に発信していこうという想いが詰まった試合だったんです。そこに実況として携われたこと、あの試合は一生忘れません。

今後については、今の段階では自分で仕事の範囲を決めることなく、オファーを頂ければ、色んなことに挑戦していきたいと思ってます。若いからこそできる仕事も沢山あると思います。僕は欲張りなので、実況、ラジオ、テレビ、全部やりたいんです。ひとつひとつ全力で取り組み、その先にある景色で新たな目標を決めていきたいなと思っているんです。

あの日見たピッチの色を忘れることなく、走り続けたいなって思います。

取材後記

しゃべり手を仕事にされている方なので、インタビュー中にお話を伺っている時も、テンポが良く、そしてはっきりとした語り口で語って下さいました。私もサッカーをしていたので、共感できる部分も多く、ライバルに負けたくないと目標を設定し、そこへ向けてトレーニングを積み、定めたゴールへ真っ直ぐ進める判断の早さと決断力は、どれもサッカーには欠かせない要素で。何より仕事で周りの関わっている人をチームとして意識し、想いを組もうとする姿勢は、正にサッカーにおいてのチームプレーに似ているなと感じました。これからも彼の声、喋りによって盛り上がっていく世界を一緒に追いかけて行きたいと思います。

Profile 江本 一真 広島県広島市出身。5歳からシーガル広島でサッカーを始め、中学まで所属。広島観音高校に進学し、高円宮杯、JFA U-18サッカープレミアリーグに出場する。現在、しゃべり手として広島を中心に、サッカー実況、ラジオDJ、テレビリポーターとして、多岐に渡り活躍中。主な出演番組は、Jリーグ中継実況(DAZN)、江本一真のゴッジ(広島エフエム放送)、大窪シゲキの9ジラジ(広島エフエム放送)、ココ!ブランニュー(広島ホームテレビ)、5up!サタデー(広島ホームテレビ)、ココ+(広島ホームテレビ)。